「英和 ビジュアルディクショナリー 分解博物館21」

https://www.amazon.co.jp/%E8%8B%B1%E5%92%8C%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%88%86%E8%A7%A3%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A821-DORLING-KINDERSLEY/dp/4810425436

Amazonで安かったので買ってしまった。

地理学のイラスト、生き物の解剖図や写真、機械の分解写真だけじゃなくて、スポーツの図説まである。察しの通り列強(言い方…)に傾いている*1ものの、アジア圏の情報が皆無というわけではなく、彼らなりに拾える部分に関しての内容は盛り込まれてると思う。
建築系も充実してて、土や木でつくられた模型(だと思う)の写真に部位の用語や図説が書かれている感じ。ゴシック建築は4ページ、見開き2ページ分も割かれてるので、リブ・ヴォールトやピナクルとか、建築系じゃない人の会話であまり耳にしないような語彙を覚えるのに重宝しそう。
とても分厚い百科事典の様相なので、必要になったページだけ個別にコピーするのがいいと思う。
例えば自分は、ナウで読んでる建築史の本*2に出てくる建築の部位の名称を参照するのにそれらコピーを補助的に用いることを考えてる。わかんなくなるたびに図を描くのが効率的、ってこだわりの強い時代錯誤のアナログ派上の世代*3の人たちに言われそうだけど…

こういう本が子供のころに家にあればよかったなと思う。6000円代で勉強目的なのだから、頼めばギリ買ってくれた…はず。

 

一方で、この本が出た1999年以降を境にネットが一般人に爆発的に広まったように思う*4し、パソコンに落として閲覧し、検索機能まで備えてるタイプの百科事典アプリも現れていた。
紙の百科事典は場所をとるだけのお荷物だと勘違いされる時代の幕開けだったのかもしれないし、図説のために実物を分解したり模型の写真を用いるのは偉い人から非効率認定されるようなやり方なのかもしれない。当時はフィルターバブルとかインプレゾンビって用語が無かった頃で、グーグル検索も素晴らしかった*5ので、仕方ない部分はある。

子供のころ、父が共用のPCにエンカルタ総合百科みたいな名前のアプリ百科事典を導入してくれたので、好きに使わせてもらっていたのを覚えている。当時は宇宙に興味があったものの、周りにそういうのに詳しい人がいなかったので、「恒星」「ブラックホール」「冥王星」などの限局的な項目だけを*6しつこく読んでいた。何も知らない子供が何の補助線もなしで百科事典を読むのって効率悪い教育だったのかもしれない。

色々あったけれど、なんか今は紙の本の時代が再来しつつある…ように見える*7

さすがに石板まで回帰する雰囲気ではない*8けれど、一定程度信頼できる情報が一定の出版社の一部レーベルから本の形で生産されている間は、本を読むことをやめないと思う。

 

 

 

*1:「そもそも西洋列強で博物学とか百科が生まれたんじゃね」って言い草の声が空から聞こえてきたんで言っておきたいが、そうやって歴史の偶然性を無視してあたかも「必然性を自明視」するかのような誘導をして西洋が無駄に強いかのような印象を(結果的にであれ)流布するのはどうかしてる。いや強いんだろうけど、今の文脈だと西洋列強の西洋はいらなくて、ただ列強であればそういうものが生まれただろって思わないでもない。

*2:https://bijutsu.press/books/3172/ カラー版西洋建築様式史の古い版のやつ

*3:「こだわり強い」に関しては筆者も割とそうです生きてて申し訳ありません

*4:筆者の頭の中では大学の先生がイーサネットでわちゃわちゃしてたらしいのは1980年代当たりの印象で、90年代くらいから一般人も金積めばインターネット見れて、2000年代からは金そんなに積まなくてもアクセスできるようになった

*5:※かつての栄光、思い出補正、何かしらの認知バイアス

*6:ユニバーサルなプロブレムにクリティカルなソリューションを与えるためじゃなくて、ただ単にかっこいいだけの言葉を求めて

*7:認知バイアス

*8:例えば、ナノメートルオーダーの刻みを入れた水晶に太陽光を通すと立体映像が生成されるような、記録媒体と再生機を兼ねた堅牢で携帯性に優れたデバイスが出たら別だが